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日記・メモ アーカイブ

2004年02月16日

これが最後だと思って

この週末は、私がここ10数年参加している芝居集団の公演だった。
前回(7月)も今回も、やはり唄三線とのかけもちが辛く、「もうこれで公演に参加するのは終わりにしよう」と思うのだけど、そういいつつ、たぶんまたいずれ関わってしまうのだろうなぁと内心では覚悟していたりする。

今回は音響のオペレーターと選曲を一部手伝った程度だったのだが、いろいろな要因が絡んで、過去を振り返るというか、芝居を始めたころから今に至るまでの時間の経過をしみじみと感じることが多かった。いや別に、一緒にブースに入った照明さんが22歳だったので年齢差を感じたということだけではないのだが……。

別に仕事としてギャラをもらってやっているわけでもないのだけれど、やるからには、後悔のないようにやりたい。今回は金曜日1回、土日各2回の5ステージあったのに、日曜マチネまで、ノーミスのステージがなかった。さすがに焦って千秋楽(日曜ソワレ)は何とかノーミスで完了したが、何かと反省材料が多かった。「もうやるまい」と思いつつ今後に向けて反省するのは矛盾しているが、あくまで自分のためのメモとして……。

●役者(あるいは演じられている役)への愛情がなければ、いいオペはできない。
●先の段取りをあまり考えず、そのとき出している音、次に出す音に集中する。
●常に「これが最後のステージ」と考える。

 「これが最後と思って」というのは、芝居に限らず、何をやるにせよ、後悔のないようにやるには必須の姿勢なのだと思う。内田樹氏も名著『「おじさん」的思考』のなかで、そんなことを書いていた。

2004年02月26日

花粉症対策

花粉症になるならないは体質らしいけど、それまで大丈夫だった人も、ある年から突然発症することがあるらしい。「一杯になったバケツが溢れるように、限界が来たら発症する」という比喩を聞く。

私も、子供の頃はアレルギー性鼻炎だったりはしたが、一昨年くらいまではいわゆる花粉症とは無縁でいられた。それが、一昨年の春から「これはもしかしたら」と感じるようになる。その後、郊外から都心方面に移動してきたせいか(といっても移動の方向がそうであったというだけで都心に住んでいるわけではない)、というのはつまり、かつてほどではないけれども、それでもなお緑豊かな環境を離れてしまったせいか、昨シーズンからは、街角で配っているティッシュがありがたいくらいの症状が出る。

それでも、外に出るときは必ずマスクをするとか医者で注射を打ってもらうとかいうほどの事態に至っていないのは、ある対策が効果を発揮しているからなのかもしれない。

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2004年03月17日

辺見庸さんのこと

脳神経系の病気で倒れた人といえば、もちろん今は長嶋茂雄氏だが、その数日後、作家の辺見庸さんも脳内出血で倒れて入院した。幸い軽症のようで、毎日新聞によれば、1週間の入院、回復までに1ヶ月を要するとある。

不勉強な私は、彼の小説を一つも読んでいない。芥川賞を取った『自動起床装置』すら読んでいない。私が知っているのは、米国によるアフガニスタン攻撃の後に出版された『単独発言―私はブッシュの敵である』など、時流に抗する発言者としての辺見庸さんだ。坂本龍一が中心になってまとめた『非戦』にも書いているはずだ。

『世界』3月号では、World Peace Nowのピースパレードについて、一人の参加者としての立場から厳しい批判を展開している。その批判が必ずしも的を射ているとは私には思えないのだが、そうはいっても、過去の「運動」を知る立場からの貴重な発言だとは思う。

辺見庸さんの一日も早い快復を祈ってやまない。

(この記事は「ブルーグラスな日々:容態」へのトラックバックです)

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2004年03月23日

テレビってあんまり観ない

少し古い話だが、日本小児科学会が「テレビやビデオを長時間見ている子供は、そうでない子供に比べ、言葉の発達が遅れる割合が2倍にも」なり、「2歳以下の子供にテレビを長時間見せないよう呼びかける提言」をまとめたというニュースがあった。リンクが切れる可能性があるのでURLは示さないが、たとえば毎日新聞のサイトで、「テレビ 言葉 発達 子供」(あいだは半角空白)で検索すると記事がヒットするはずだ。

記事によれば、同学会の調査では「子供が1日にテレビを見る時間が4時間より多いか少ないか」とか、「子供が直接見ていなくても家族がテレビをつけている時間が8時間より多いか少ないか」でグループ分けしたらしいのだが……。

4時間といったら1日の6分の1、8時間といったら3分の1だ。もちろん、その時間ずっと集中して「観ている」わけではなくて単につけっぱなしにしているのだろうけど、私にとっては驚異的な数字である。ふだんどおりの生活をしている限り、私がテレビをつけている時間といったら、1週間で8時間をようやく超えるかといった程度だ。観るとすればスポーツ中継(といってもF1、ラグビー、格闘技にほぼ限定される)とニュースくらいだし、DVDでも観終った後に偶然興味深い番組をやっていれば観ることもあるくらいだ(そう、DVDで映画は観る。映像が嫌いなわけではないのだ、断じて。といっても、その時間を入れても「テレビの電源が入っている時間」は週8時間にも満たないと思う)。つけっぱなしということはまずありえない。観たい番組が始まる直前につけ、終わったら消す。それが当たり前になっている。最近4時間以上テレビを観たのは、たぶん大晦日の格闘技くらいだろう。テレビの電源をタイマーでONにして朝のニュースで目覚めるということをしばらく続けていたのだが、うるさいのでやめてしまった(うるさいから起きるんだけど)。

もちろん、いい番組もないわけではないし貴重な情報が得られることもないではないのだろうけど、そもそも他にやりたいことが多くてテレビを観ている暇なんてろくにないし、つけっぱなしにしておくにはテレビは騒々しすぎる。音がほしければiPodで音楽を流すほうがいい。

テレビをろくに観ないのは、子供のころからの習慣だ。だから私は「8時だよ全員集合」を1回も観たことがない。いかりや長介さんが亡くなったが、顔も思い浮かばないしネタも知らない。観たことがないといえば、『新選組!』も『白い巨塔』も1回も観ていない。それでも、読みたくて買ったのに読んでいない本、観たくて買ったのに観ていないDVDがいくつも溜まっている。

普通の人は、よほど暇なのだろうか。それとも、私は現代人として何か大切なものを失っているのだろうか(なんてね)

2004年04月05日

東京メトロ

営団地下鉄が「東京メトロ」に改称した。いい名前だと思う。メトロという語感が好きだ。家庭の事情ゆえの子供のころからのフランスびいきというせいもある。上々颱風の『メトロに乗って浅草へ』という佳曲が好きだったせいもある(そういえば最近ほとんど上々颱風を聴かなくなってしまったが、これを機会にまた引っ張り出そうかな)。

なんといっても、以前の名称よりはるかに良い。営団と省略されてはいたけど、正式名称は「帝都高速度交通営団」だ。「帝都」も嫌だし、「高速度」も時代遅れだ(もっとも東京メトロも、正式名称は東京地下鉄株式会社という無味乾燥な名前なのだけど)。

で、改称とほぼ平行して、駅名にアルファベット+数字の符号がつくようになった。駅ナンバリングというらしい。丸の内線の駅なら、荻窪=M01、南阿佐ヶ谷=M02といった感じ。日本語のできない外国人観光客などに使いやすいようにという配慮らしいのだけど、う~ん、これはどうなんだろう? 駅名のアルファベット表記はあるのだし、もう少し固有名詞を大事にしたほうがいいんではないかという気がする。歌舞伎座への行き方を教えるのに「H09で降りて3番出口」というのはなんだか味気ない。固有名詞を符号化する話は、だいたいにおいて殺伐とした雰囲気を生み出すような気がする。まぁもちろん、本来の駅名を置き換えるものでないのは分かっているんだけどね……。

2004年05月17日

「10年後の自分は○○ができるようになっている」

今回書くのは、かなーりくだらない話である。このウェブログの数少ない読者のうち、ほとんどの人にとって、少しも得るものはないと思う……(いつもか?)

最初のキッカケは、「ヌーベルブログ」というウェブログの、「55 自分の夢は、何年後まで描けますか?」と題された記事だった。この記事の印象は、先日書いた手書きメモの話にもかすかにつながっているのだけど、もっと直接的に私が思いついたのは、「10年後の自分は○○ができるようになっている」という命題だった。

いつも読んでいる「さとなお」さんの「さなメモ」にも、つい先日、「そしてそれは42歳のボクにも言えること。10年後になりたいものに向かって走るのに42歳は全然遅くない。10年あったらなんでも出来る」とあった。やった! 私はもう少し若いぞ。

さて、○○には何を入れよう?

もちろん、「現実的に」入れたい言葉はすぐに二つ思いつく。一つは英会話、もう一つはギターだ。私は英語を読むのはそれなりに得意だが、会話はまったく勉強したことないし経験も皆無に等しい。しかしひとまず英語を飯の種にしている以上、英会話ができるようになることは、夢というより現実的な要請なのだ。だからもちろん、勉強は始めると思う。でも、これは「夢」ではない。

ギターはやりたい。とてもやりたい。これは「夢」といってもいい。ひそかに上達するために実はサイレントギターも持っている(あ、ここでバラしたら「ひそかに」にならないな……)。ただ、趣味のジャンル(?)として唄三線と近すぎるので、練習に費やす時間という点で唄三線と食い合ってしまうのは避けられない。今のところ唄三線の稽古時間をもっと増やしたいくらいなのに、同じジャンルの趣味を追加するのはかなり無理がある。

で、私が○○に入れることにしたのは、とってもレアで地味な願望である。たぶんそんなものに憧れる(?)奴は日本全国で1万人に1人もいないのではないかと思う。

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2004年06月14日

近所で咲いていたブーゲンビリア

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珍しく、携帯で撮影した花の画像など投稿してみよう。

これは、近所のアパートの庭に咲いているブーゲンビレア。ブーゲンビレアといえば南国の花。沖縄・粟国島を舞台にした映画『ナビィの恋』でも印象的に使われていた。でも、東京でもあるところにはあるみたい。

桜はともかく、季節ごとに咲く花のことなど気にするようになったのはいつ頃からだろう。近年は、梅や木蓮、ジャスミンあたりが気になっている……。

2004年06月15日

2時間腹の立ったサービス……

いや、「@ぴあ」の「デジポケ」を使った紙発券サービスなんだけど……。

ウェブで購入して、「デジポケ」に預けてあったチケットを、新宿伊勢丹のぴあスポットで発券したのだが、「Myデジポケ番号」と「紙発券暗証番号」で利用者は特定できるはずなのに、カウンターでまた、旧態依然とした発券申込書に氏名と電話番号、それに公演名まで書けという。なんで? ぴあのデータベースには、私についてもっと詳しい個人情報が保存されているはず。問い合わせ(というか抗議かな)のメールを送ったら、「本人確認のため」という回答が返ってきたのだけど、それならいっそのことパスポートとか運転免許証とかも提示させるべき。名前と電話番号を書くだけで本人確認になるわけ? じゃあMyデジポケ番号とか紙発券暗証番号を知っているというのは、いったい何を認証したことになっているのだ?

複数の公演のチケットを預けてある場合でも、「これとこれをお預かりしていますが、今日はどれを発券しますか?」と口頭で尋ねればいいだけではないか。

要するに、「発券申込書に記入してもらう」という「ぴあ」の昔ながらの方法を捨てられないだけで、ユーザーの利便性なんてこれっぽっちも考えちゃいないのだ。そのくせ、「紙発券手数料」とやらを1枚100円取るという。手数をかけているのはこっちだと言いたい……。

おかげで2時間くらい私は怒っていたのだよ。まったく。金曜日の話だけどね。

2004年07月26日

打ち水!

先週だかの強烈な暑さは一段落した感じだけど、あいかわらず、東京の方が沖縄よりも最高気温が高い日々が続いている。真冬の生まれということも関係あるのか、私は暑さがかなーり苦手である(何もやらず、どこにも行かず、だらだら過ごしていられるなら暑いのも悪くないのだけど)。沖縄が暑いのは照りつける太陽が熱いためで、ある意味しょうがないのだけど、東京の暑さはエアコンやクルマの排熱も大きいのだろう、なんだか人工的で気持ちの悪い暑さだ。

で、そんな暑い東京を少しでも冷まそうと、打ち水の話。だいたい毎日チェックしているウェブサイト「(庄内拓明の)知の海に飛び込め!」のウェブログで、「打ち水大作戦2004」が紹介されていた。打ち水は、風呂の残り湯とか、本来ただ捨てられるだけの水を使うかぎり、自分のフトコロという意味でも環境という意味でも何のコストもかからない(はずである)。打ち水した水分が気化すると(それによって温度が下がるわけだが)、その分、湿度が上がって不快になるのではないかという気もするけど、沖縄のむわっとくる暑さと違って、最近の東京の暑さは気温は高いけど湿度はそれほどでもなさそうだから、良しということにしよう。

というわけで、土曜日だったか風呂の残り湯を使って打ち水を試みた。まず、部屋のベランダに撒いてみたのだけど、とにかく人が1人ようやく立てるくらいの狭いベランダということもあって、すぐに水が下にぼたぼたと落ちていってしまう。1階の住人に迷惑がかかりそうだったので、こりゃまずいと即座に部屋に引っ込んで知らん顔を決め込むことにした。しょうがないので、今度はドアの前の廊下に。日の当たる場所じゃないので今ひとつ不本意なのだけど、ここなら他人に迷惑がかかることもなさそう。私の打ち水守備範囲はここにしよう。

風呂の残り湯を1回ですべて撒き散らしていたら大変なので、ミネラルウォーターの空きペットボトル2本に溜め込んで、毎日、少しずつ撒くことにした。そういえば、大震災のときは、飲み水も大事だけど、トイレ用水とかの生活用水の不足が深刻になるという話も読んだ。その意味でも、こういう形で、飲む気にはなれないけどトイレに流す分には問題のない水を周期的に入替えつつキープしておくのは悪くないかも。

2004年08月13日

憲法第9条

へ~、知らなかった。私が無知なだけか?

「日本国憲法は戦後アメリカから押し付けられたもの」という改憲派の主張に対して、私は「制定の経緯はどうあれ、いいものはいい」と思っていた。でも、その日本国憲法のなかでも、第9条は日本側の発案をGHQが受け入れた、といういきさつがあるらしい。

ネタ元はここ

そんなこんなで幣原喜重郎という人に興味が出てきて、↑のウェブログで紹介されていた立花隆の本と、幣原喜重郎の伝記を注文してしまった……。

イラク戦争・日本の運命・小泉の運命
イラク戦争・日本の運命・小泉の運命

日本国憲法をつくった男―宰相幣原喜重郎
日本国憲法をつくった男―宰相幣原喜重郎

2004年10月03日

金久美子(キンクミジャ)さん

……の、訃報を新聞で知る。

彼女が参加していた新宿梁山泊という劇団の「人魚伝説」という芝居がとても好きで、何度か観にいったなぁ。金久美子さんは、第三エロチカの深浦加奈子とタメを張るくらいのアングラ美人女優だと思っていた。合掌。

2004年10月09日

台風

なんだよ……。
買い物にも行けなくなるか、行きつけの店に行く気もなくなるかと思って食料買いこんでおいたのに。観てないDVDも読んでない本も十分あるし、停電対策もばっちりだったのに。

「あまりひどくならないうちに」とちょっと外の様子見に散歩に行って戻ってきて、2時間くらい仮眠してたら、もう終わってました>台風 別に雨風の音で目を覚ますでもなかったし。

もう終わりかよ!!

そりゃーまー被害も出ているのだろうし交通機関も止まっているし(中央線も止まったみたい)、影響あった方にはご愁傷様なのだけど、毎年沖縄に行って台風見物している身としては(涙)、不謹慎ながら期待はずれでした……。

2004年12月06日

師走

……などというSubjectにしてみる。ネタがないわけではないのだが、珍しく身辺雑記。

先週末はスポーツ関係のイベントが目白押し。といっても外出がちだったので、基本的には録画録画。

まずは土曜日のGIIステイヤーズステークス。これは録画もしたのだけど、休日出勤の職場を抜け出して中山競馬場まで観にいってしまいました。応援していた馬は全然振るわなかったけど……(涙) 同じく競馬ネタで、日曜日の阪神ジュベナイルフィリーズ。録画だけして、まだ観ていないのだけど、今朝新聞で確認したら単勝取っちゃいました……(たまには当たる)。週末全体の収支としてはわずかにプラスってだけなのだけど。

格闘技ではK1 World GP 2004決勝トーナメント。フジテレビ721@ケーブルテレビで、丸々5時間の放映。最初の3試合分くらいしか観ていないのだけど、トーナメント第1試合のガオグライ・ゲーンノラシン対マイティ・モー。体重差53kg! モーは打たれ強いことで知られてるし、軽量でディフェンスの巧いゲーンノラシン@ムエタイとしては、手数を稼いで判定勝ち狙い……と思っていたら、豪快にKOしてしまいました。びっくり! このところPRIDEに比べて輝きの失せたK1だけど、久々にあんな凄いKOシーン(写真)を見たって感じ。ムエタイといえば映画『マッハ!!!!!!!!』を観たって話を以前書いたけど、や~お話だけじゃなかったんだな。

それからもちろん、ラグビー早明戦。これは、直前に知人から「チケット1枚余っている」という話があったのだけど、三線教室の時間ともろに重なっているので断念。日曜日の夜に帰宅して、録画を観たのだけど、結果は下馬評どおりとはいえ、結構興奮させられて、結局深夜まで全部観てしまった……。

日曜日の日中は三線教室のお手伝いなのだけど、夜は知り合いの女優に個人レッスン(偉そうに)。今月半ばに出演する沖縄ネタの芝居で歌うというので……。以前から三線は所有していて、独学で多少は練習していたみたいなのだけど、いきなり難曲含みで2曲(遅弾き・早弾き双方やる曲もあるので実質3曲)。話だけ聞くと絶対無理なのだけど、やらせてみると結構いけるかも、という感じ。三線はむろんまだ下手だけど、やっぱ声いいなぁプロの役者は。しかし、唄三線だけを練習して気持ち整えて何曲か歌うだけ、というのではなくて、ほとんど舞台に出ずっぱりで演技して、その流れのなかで、素に戻ることなくそれなりに恥ずかしくない演奏をして、また芝居を続けなきゃならんのだから大変だ……。

■44Produce Unit 公演
中島淳彦・戦中戦後三部作 第二弾 沖縄編
「フツーの生活2」

2004年12月08日

楽しい思い出なのか辛い思い出なのか……

共同通信ニュースより。ニュースサイトの記事というのはURLが変更になったり消えたりしがちなので、悪いと承知で全文引用~。

病院もヨン様人気に便乗 韓国がんセンターで検診を

【ソウル8日共同】大人気の韓国ドラマ「冬のソナタ」で撮影に使われた韓国国立がんセンターが8日、ドラマ人気にあやかって日本人のがん検診誘致などに乗り出すことを明らかにした。
ソウル近郊の京畿道高陽市にある同センターは「ヨン様」こと俳優のペ・ヨンジュンさん演じる主人公が入院、女優チェ・ジウさん扮(ふん)する恋人が見舞いに訪れたシーンの撮影場所。
同センターなどによると、撮影に使われた病室は当時と同じ状態に保存し、ペさんが着た患者服なども活用。室内には既にペさんのポスターや撮影に使った小物も展示されているという。
センター側は来年にも「ヨン様プラン」と名付けて日本人女性を対象にした集団がん検診を誘致、撮影に使われた病室に1泊できる計画も検討している。

……検診の結果ガンが発見されたら、この旅は楽しい思い出になるのだろうか、辛い思い出になるのだろうか。まぁ発見されないまま病気が進行するよりは発見されたほうがいいのだから、どっちにしても結果オーライなのか。

ちなみに私はいまだに動く「ヨン様」を見たことがない。写真は見たことあるんだけどね。ひょっとすると動く「ヨンサマ」(牡2歳、5戦0勝)を観る方が先だったりして。

2005年02月18日

愛国心、あります。

しばらく前に「HERIKUTSUなる日々(by jabberwock)」というウェブログに投稿された「私の愛国アレルギー症候群。」という記事がキッカケだと思うのだけど、「愛国心」論議があちらこちらに広がっている。たとえば、「たまごの距離」とか、「平和はお好きですか?」あたり。コメントも多数寄せられている(愚にもつかぬコメントも結構あるけど)。

んで、私はどうかというと、愛国心、あります。↑で紹介したウェブログのどれかに、愛国心の「国」には「国土」と「国家」の両方あり、みたいな内容のコメントがあったのだけど、私の場合はたぶん両方。

何といっても生まれ育った国だから馴染みがあるしね(他の国を知らないだけかもしれないが)。コメも桜も好きだし、刺身も醤油も好きだし、日本語も好きだ(私は翻訳で食っているので毎日英語ばかり読んでいるけど、「英語が好きなんですね?」と聞かれたら、たいてい「いえ、私がやっているのは世の中から英語を消して日本語にする仕事ですから」と答えている(^^;) 文化芸能の点でも優れたものはたくさんある。だいぶズダボロになりつつあるとはいえ、気候風土もかなり好き。このへんは「国土」を愛する部分(文化も含めちゃったけど)。

「国家」はどうかというと、時代を遡ればいざ知らず、少なくとも今(ていうか戦後)はそんなに悪くはない。何しろ私の大好きな平和憲法がある(やや問題もあるが)。完璧ではないかもしれないけど、市民的自由も民主主義も人権も、国際的な水準から言えばそこそこ充実している。経済的にも豊かでインフラも整備されている(まぁこれは環境破壊と裏表だけど)。歴史的にはいろいろヤバい部分もあるけど、まぁ反省すべき点は反省してさ。大事なのはこれからだよ。

嫌なところは「国土」にも「国家」にもいろいろあるけど、この国に生まれたゆえの諸々の恩恵にあずかって、恵まれた人生を生きてきた(と思われる)私としては、この国を愛さない理由はない。ビバ日本!

スポーツとかでも、特に理由がなければ、基本的には日本チーム・日本選手を応援する、と思う(「特に理由がある」こともそれなりに多い。後述)。頑張れニッポン!(私としては日本はニホンと読みたいのだけど、「がんばれにほん」って、かなり脱力する響きなんだよね)

というわけで、「愛国心、あります」

「私には愛国心なんてない」という人に、「愛国心持てよ」と言うつもりはないが、「え~なんでないの? 結構いい国じゃん」くらいは言ってみたい。

ただし、留保が二つある(もっとあるかもしれないがとりあえず)。

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2005年03月12日

こんなんありました

休日なので小ネタ。

庄内拓明さんのウェブログ「今日の一撃!」で紹介されていたオンライン・カードマジック(?)、これはちょっと面白い(庄内さんのサイトは、→ここから。当該記事はこれ)。

問題のサイトは「Magic Tricks」。
英語のページだが、庄内さんが訳してくださっているので、日本語が必要な方は当該ページをごらんいただきたい。要は、カードのどれかを選び、クリックなどせずに念じて記憶し、次のページへのリンクをクリックすると、こちらの心を読み取って、選んだカードを消してみせる、というマジックである。確かに、ちょっとびっくりする。ネットで個人情報を読まれる脅威というのはここまで来たかという感じだ。心配な人はネットカフェなど、自分のものではないPCからアクセスして試してみたほうがいいかもしれない。

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2005年03月14日

「グロい」って言ってたかなぁ……

先日の「辺野古に行って、考えた」にいただいたコメントのなかに、

何でもかんでも「市民運動」がイヤ、「市民運動」はバカにしてもいい、そんな人たちがこんなにたくさん登場するようになるなんて、 当時は思ってもいませんでした。

という一文があった。実際、私がよく読んでいるウェブログにも、誠実真摯な思索に対して、 知性のかけらも感じられない罵声をぶつける類のコメントが膨大に寄せられているのを見ることがある。

で、上の一文を目にして、ふと思い出したことがある。「グロい」という形容詞だ。

私が在籍していたがっこうには「学生自治」なる概念があった。最近はキャンパスを訪れていないので今でもあるのかどうかは知らない。 学内にはちっぽけな博物館みたいな施設もあったから、そのへんにでも飾られているかもしれない。

その名の通り「学生自治会」なるものあったし、サークル連合的な存在もあった(サークル活動の支援・振興が本来の趣旨だと思うのだが、 それにこじつけて?「学生自治」的な活動もやっていた)。学生寮の自治委員会もあったし、季節によっては学園祭の実行委員会や、 新入生への自主オリエンテーションを司る委員会も設置されて、そのへんには「学生自治」を振りかざすのではない、 イベントやプロジェクトを仕切るのが好きな輩もいて、「学生自治」な連中からは「官僚的」などと揶揄されていた。

時代が時代だから、もう「学生運動」なんてものは衰退しきっていて、学生自治の仮想敵(?)は、大きな社会権力というよりは、 せいぜい「学部当局」だったり、あるいは当時問題になっていた勝共連合・原理研だったりした。で、そういう「学生自治」の旗印 (旗はなかったけど)に共感して集まる学生のことを、「グロい」と表現していた。

元々はグロテスクの意味だったかもしれないけど、そこまで露骨なニュアンスはなかったように思う。 そういう活動に関心を示さない学生が、他称的に「グロい」と表現していたかもしれないし、そういう活動に携わる学生がいくぶん自虐的に 「グロい」という言葉を使っていたような気もする。

対義語があったとすれば「一般学生」だろうか。使う立場によって、「グロい」学生を特殊視する眼差しを含んだ言葉でもあり、 「一般学生」に対する意識的/無意識的な優越感を含んだ言葉でもあったろう(政治家・官僚が「国民」と言うときのように)。しかし、 どちらかといえば後者の意味で、つまり「グロい」学生がそうでない学生を指して使う言葉であって、「一般学生」 が自らのことをそう呼ぶことは稀であったような気がする。というのは、彼らはそういう言葉が登場するような議論に姿を現すことはないから。

なんでこんなことをあれこれ思い出したのかというと、たぶん、「運動」的なものを嫌悪するとか、冷笑するような態度というのは、 もうずっと前からあるのだし、そういえば私自身もそれを感じていたよなぁということなのだ(ということはつまり、私も、 少なくともある時期には「グロい」学生だったということなのだけど)。

2005年03月22日

1割

というわけで、土曜日はWorld Peace Nowの集会&デモ(主催者曰く「ピースパレード」)に参加してきた。 参加してきたといっても、開始時刻には遅刻するし、ピースパレードではプラカードも持たずシュプレヒコールもあげず、途中からはiPod Shuffleで音楽を聴きながらポケットに手を突っ込んで黙然と歩くだけ。全行程のたぶん3分の2くらいのところにある 「銀座わしたショップ」の前で離脱して沖縄関係のCDを購入、というフマジメな参加者なのであった。

でももちろん、私も参加者数にカウントされているはず。

主催者発表(サイト)によれば、 参加者数は4500人。もっといたように見えたけど、イベントの「主催者発表」 の来場者数ってのはやや多めに見積もられているのが普通だから、私の勘違いだったのだろう。

一昨年3月、イラク開戦前後に行なわれた同じイベントでは4万人を超えていた(同じく主催者発表だけど)。

ほぼ1割が残った計算だ。考えてみれば、一昨年3月21日のイベントには私も8人の友人知人を誘ったのに、 その後は誰も誘っていないのだから、全体の数もその程度になるのも自然な成り行きか(当時私が誘った人が、 今回私と関係なしに参加していることはない、と推定しているわけだが)。

以下、雑感。

以前に比べると、何らかの団体(労組とか党派ではなくて市民グループみたいな)に所属している人の比率が高くて、 何の幟も横断幕もプラカードも持たない個人参加者が減ったのかなぁという感じ。参加者の年代も高め。 世間的にはもはや絶対に若者に分類されることはない私だけど、たぶん参加者のなかではどちらかといえば若い方だっただろう。

例によって、集会のなかではステージでバンドの演奏が入ったりする。下手。いや、技術の問題ではなく、魅力がない。 こういう善き意志に溢れて(←推定)音楽をやる人の曲とか歌って、なんでこんなにつまらないのだろう、といつも思う。たぶん彼らが、 歌や音楽を、自分のメッセージを訴えたり、他の誰かとコミュニケーションを図るための道具として使っているせいではないかと思う。 まぁもちろんそういう面があってもいいのだけど、あまりにもそれが鼻について安っぽい (これと同じことは翌々日にも別のイベントで感じることになるのだけど、それはちょっと差し障りがあるので詳しくは書かない)。 社会的政治的に同じような志向を持っていても、いい歌を歌う人たちももちろんいるのだが、そういう人たちは、 やっぱり何よりも歌を愛している感じがする……。

そういえば、しばらく前に行きつけの飲み屋で別の常連どうしの会話が耳に入ったのだけど、一方が他方に「そういうの(ピースパレード) とかに行っても何も効果はないのに、なぜ参加するんだろう?」みたいなことを言っていた。問われた方は、 その種のイベントにけっこう積極的に行きそうなタイプなのだけど(実際私も会場で出くわしたことのある)、 彼がなんと答えたかはあいにく聞こえなかった。私なら、「効果がないのは十分な数が集まらないからだし、十分な数が集まらないのは、 効果がないと思っている人は足を運ばないからだ」と答えただろうけど。

2005年03月30日

人生ピロピロ~

日曜から月曜にかけて体調を崩し(って遊び疲れであるのが明白だが)、 年度末ってことで仕事も山場を迎えているのに月曜は遅刻~早退とさんざんだったので、そのツケが昨日今日と回ってきてへろへろなのである。

でも、月曜に早退してベッドに潜り込んで読んでいた『人生ピロピロ』にあった「出し惜しみしない」 精神で今日はちっとは仕事も頑張ってみようかと。

『人生ピロピロ』は、沖縄の食関係についても名著を残している「さとなお」さんのエッセイ集。 まぁウェブ(さとなお.com)で読んだことのある内容もかなり多かったのだけど、こうして本になって何がよいって、 人に貸したり勧めたりするのが楽だってことだな。ウェブ上の内容を紹介するのだと、URLをいくつも切り貼りしなきゃなんない……。

人生ピロピロ(角川文庫)
さとなお

出版社 角川書店
発売日 2005.03.25
価格  ¥ 567(¥ 540)
ISBN  4043614020

bk1で詳しく見る オンライン書店bk1

2005年04月01日

エイプリルフールなんで

4月1日になると、あちこちのサイトで、エイプリルフールのしょうもないジョークというか、引っかけネタの話が出てくる。もう毎年のことなので少々食傷気味なのだけど、今年は思わず引っかかってしまったものが一つあった。これは競馬ファンにしか分からないネタなんだが、「コスモバルク豊で天皇賞出走へ」という奴。朝から「今日は4月1日」と肝に銘じていたのに、思わず「え?!」と反応してしまった。すぐ気づいたのだけど、「そんな話があればなぁ」という気持ちを見事に突かれた感じ。

それと、これはハナからジョークサイトという体裁を取っているので騙されるわけではないけど、なんか微笑ましかったのが、「2ちゃんねら向けの新ドメイン「.orz」が運用開始」という奴。いかにもありそうなドメインだし(笑)

ただ、しばらく前から(というか正確には4年前から)毎年のように思うのだけど、そもそもその起源からして、エイプリルフールなんてのは20世紀まで(いや「2000年まで」か)しか通用しないものであるのは明らかなので(根拠は→ここ)、いつまでも毎年のように浮かれているのはどうなの?という気もする。嘘やごまかしや騙しなんて、この日に限らず、そこらじゅうに蔓延しているのだし。とはいえ、そんなことを思いつつ、私自身楽しんでいる部分もなくはないから、まぁいいのだけど。

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2005年05月24日

一年経過

先週末(5月21日・22日)で競馬を始めてちょうど1年。こちらのウェブログには競馬の話は書かないことにしたのだけど、 記念なのでちょっとだけ。

1年やってみて分かったこと……競馬は儲かる。今年に入ってから馬券の記録を全部つけているのだけど、 私が買っているのはたいてい100円単位のジャリ馬券なのに、自慢じゃないが、今年回収した金額はすでに6桁に達している。 むろん投資した金額は秘密である。だから自慢じゃないんだってば。

もちろん、「競馬は儲かる」と書いたのは、途中に(JRAが)という言葉が省略されているのである。

先日、「天皇賞・春」を京都まで観戦に行って(物好き)、もう一つ分かったことがある。それは、「東京は馬券が当たりにくいが、 京都は外れやすい」ということである。

……久々の記事でくだらんことを書いててむなしくなったので、もうやめよう。。。

 

2005年06月06日

土砂降り

土曜日、久々に実家に戻り、クルマを出す。すっかり運転する機会が少なくなってしまったのだけど、 たまには動かさないと調子も悪くなるので。

近所のガソリンスタンドに行って、給油&洗車。すると、ワイパーブレードがヘタりまくっているので交換しませんかと言う。 相手も商売だとは思うけど、私は、以前から付き合いのある商売人から何かを勧められると、わりとホイホイ従う人間なのだ。

というわけで、新品のワイパーブレードをつけたクルマで、埼玉県北本市へ向かう。エンジンルーム内に付着した埃の類が焦げるのか、 走っている最中は風に吹き飛ばされて分からないのだけど、停車するとフードからうっすらと白い煙が漂い、室内にも少し焦げくさい匂いが漂う。 何ともおっかない状況だが、何度か経験しているのでそのまま走行。やがて、そういう症状は出なくなるので。

高速道路を走っていると、前方の空が暗い。やがて本格的に雲の下に突入し、まだ4時というのに周囲も皆ヘッドライトを点灯する。 ポツポツ来たかと思うと、一気に土砂降りゾーンに突入。100km/h前後で流れていた周囲のクルマも、いっせいに50km/h程度に減速。 もちろんワイパーは全開運転。それでも何とか視界が確保できる程度。

いや~。ワイパー交換していなかったら事故っていたかも。

雨脚は弱まり、高速を降りて、下道を走って北本へ向かう。荒井という集落で荒川を渡る。 私はこのあたりの農村風景が何とも言えず好きだ。WTOの農産物自由化交渉とかで、日本は国内農家を保護するために「農業の多面的機能」 とかいう主張をするのだけど、心情的に、私もこれに同意してしまう……。

帰路は別ルートを選んだのだけど、首都高の渋滞表示板にオレンジ/赤表示がまったくないという奇跡的な状況で快適至極。

運転はやっぱり楽しい。

2005年06月20日

あったらいいもの

スキャナ機能付きシュレッダー。

(通常は銀色とかになっている)ペン先部分がそれぞれの色に着色されている4色ボールペン。

 

2005年07月04日

都議選

日曜日は都議選だったのだけど、この週末は沖縄に行っていた関係で、金曜日午前中に不在者投票を済ませた。

前にも書いたことがあるかもしれないけど、私は大の選挙好きで(笑)、選挙権を手にしてこのかた、棄権したことは一度しかない。それも、芝居の本番と重なっていて、多忙のあまり、ついうっかり忘れただけ。

今の住所に引っ越してから2年半になるのだけど、諸般の事情で住民票を移したのは昨年8月(諸般の事情というのは、要するに移すのがめんどくさくて、その面倒さを、移さないことによる不都合の方が上回ったというだけの話なのだけど)。

というわけで、今の選挙区で選挙を迎えるのは今回が初めて。以前の選挙区なら長年住んでいた場所だから、「この人は前から出ているなぁ」とか「前回は確かここに入れたっけ」と漠然と覚えているのだけど、今回はそうは行かない。かといって現有議席の配分や過去の経緯なんかは調べれば分かるのだけど、ちょっとそんなことをしている暇もない。

困ったときは既成政党……とは思ったのだけど、当日朝、うーんと悩んだ結果、市民派を名乗る無所属の現職候補者に投票することにした。ポスターに書いてあった推薦者の顔ぶれを見て、こういう人たちに信頼される人なら、まぁ大丈夫だろうと。

結果は、最下位当選でした(笑)(次点は自民党の候補者) 錯覚にすぎないとは思うのだけど、こういうのが一番、自分の票が活かされた気がして嬉しいのである。

2005年07月11日

右と左

たいそうなタイトルだけど、政治の話ではない。

庄内拓明さんが「今日の一撃」で「右手ではこなせないこと」という記事を書かれているのを読んで、「自分は本当は右利きなのか左利きなのか」という点で大きな手がかりを得たのである(なお、「今日の一撃」は「庄内拓明の知のヴァーリトゥード」の一コンテンツです)。

庄内さんは左利きから右利きに矯正されたようだけど、私も似たような経緯がある。結論から言ってしまえば、私は本来左利きであるような気がする。

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2005年07月25日

地震の顛末

土曜日の地震のこと。私は震度5強とされた横浜市青葉区にいたのだけど、実はまったく揺れに気がつかなかった。ちょうどそのとき、クルマを運転していたせいだろうと思う。夕刊を配達していた青年が、バイクにまたがったまま、なんだかぼーっとしているように見えて、どうしたんだろうと不審に思ったという暢気さである。

実家に戻ったら姉がテレビで臨時ニュースを見ていて、初めて地震のことを知った次第。「(電車などに)閉じこめられたりするかもしれないから、もう少し様子を見たら」と姉が言うのに、何しろ地震そのものを体感しなかった私は気楽に実家を出て、高円寺の自分の部屋に戻ることに。

ところが、駅についたら、なんか電車が時間通りに来ない。おかしいなぁと思って待っていたら、ようやく来た電車がやたらに混んでいるし、何より、行き先表示が途中の駅(二子玉川)までになっている。混雑ぶりに嫌気がさして1本見送り、次の電車を待つが、これもやはり二子玉川止まり。それでもこっちは空いていたので、とりあえず乗る。アナウンスで、地下部分(二子玉川~渋谷)が不通になっていることを知り、ようやく混乱の大きさが飲み込めてきた。

それにしても、車内アナウンスは不十分きわまりない。二子玉川まで行けるのは分かるが、そこから分岐する大井町線、その先の東横線や、JRを含めた他社線がどうなっているのかは、終点に近づくまでまったく告知されなかった。天災で通常の営業ができないのは、かなりの程度しかたない。とにかく欲しいのは正確な情報なのだが……。

で、こういうときに限って、携帯のバッテリーが心許なかったりする(笑)

さて、どうしよう。最近運動づいている私は、二子玉川から高円寺まで歩いてしまおうかなどとも思ったのだけど、クルマで何度も行き来しているから道に迷う心配はないとはいえ、どう考えても10km以上はありそうだ(後で調べたら13kmくらい)。渋谷までは何とか電車で行けそうだから、とりあえずそこまでは行った方がいいか。

そうして何とか渋谷までたどり着いたのはいいのだが、JRはまったく動いていない。動く気配もない。駅周辺は大変な人。

とりあえず急ぐ用事もなかったので、映画でも観て時間を潰せば、やがて電車も動くだろうと考え、結局『シスの復讐』を観てしまいました。映画が終わって外に出たら、なんかまだ混乱は残っているようだったけど、とりあえずJRも動いていて、無事に帰着。部屋のCDラックが心配だったけど、揺れの方向が幸いしたのか、特に何も被害はなかった。

……と、そんな地震顛末を、とりあえずメモしておこう。

2005年09月26日

いったいどうなる夏休み

土曜日に友人宅で梨をいただいた。「この秋初めての梨だなぁ」と言ったら、一緒にいた連中から、「そろそろ梨は終わりだよ」と突っ込まれた。がーん。その晩慌ててサンマの塩焼きを食べた。サンマの刺身は8月から食べていたけど、「塩焼きはやっぱり秋にならないと気分じゃないな」と勝手に思っていたのである。こんなことをしていては、サンマの塩焼きも食べはぐれるかもしれない(もっとも昨今、梨はともかくサンマなんて解凍モノでよければだいたい年中食えるような気はするが)。

日頃から秋だな秋だなとは思っていたのだ。8月19日つまり旧暦七月十五日・旧盆のウークイの日に、たまたま横浜でエイサー踊る(というか踊らせる)機会が巡ってきて、その翌日には何だか朝の風に秋を感じたし、高円寺阿波踊りが8月末に終われば、ああ秋だなぁと思ったし、9月18日つまり旧暦八月十五日に町田エイサーの出番が終わると、ああ一ヶ月遅れでオレたちの夏も終わったなぁと思ったのだけど、なぜだか梨もサンマの塩焼きも食べていなかったのである。

理由は明白だ。

夏休みを取っていないからだ。

本当は今週取ろうかと思っていた。

んが、飛行機や宿の予約を取ったりという旅行のプランを組む気力がなくて、やめることにした。

10月最終週に休みを取ろうかという考えもあった(いや今でもある)。んが、もう手遅れかもしれない。

そもそも、放っておくと週末に次々に予定が入ってくる。職種はともかく勤務形態としてはふつーのサラリーマンである私としては、やはり週末+平日5日+週末という形で9日間連続で休みを取るのが理想なのだが、こんな感じで週末に予定が入ってきてしまっては、その黄金パターンも望めなくなる。

どうしよう。このままでは私の今年の夏はいつまでも終わらない。

それもいいかという気もする。

でもそれは、実は今年は私に夏は来なかったということではないかと思うと恐ろしい。

【私的な連絡】
先日某ライブ会場でお会いしたO原さん。
私にメールをいただいても、ときどき、分類ミスで読み落とすことがあります。できれば、私が「平和なメーリングリスト」の方で使っていたアドレスではなく、「教室のメーリングリスト」で現状使っているアドレスの方にメールをいただければ幸いです。

2005年10月18日

時代がもっと悪くなっていったら

私は正直言ってヘタレである。臆病者だし痛いのも苦しいのも嫌いだし、ええかっこしいだし、何かを犠牲にして自分の主義主張を守るなんて気概も恐らくありはしない。へらへらと酒を飲み音楽を聴いて、裕福ではないにせよ、それなりに安逸な生活を送れれば、それで良しとするものである。

だから、私は、時代がもっと悪くなっていったらたぶん「転向」する。戦前の知識人たちと同じように(もっとも彼らほど賢くはないのが残念だけど)「戦争」に協力するだろう。中途半端に勉強した奴が困りものなのは、いったん転向すると、それを持ち前の理屈できちんと正当化してしまうところだ。愚直に「でもやっぱ戦争は……」と勇敢に口ごもる人の方がよほど信用できる。しかし私は恐らく、残念ながら前者である。

それでも私にもわずかばかりの矜恃というものがあるから、時の為政者の主張をそのままオウム返しに言い立てたり、品のない言葉を何の留保もなしに、その言葉が過去にどのような文脈で誰によって使われたかを検証することもなく、さらりと使ったりすることは、恥ずかしくて到底できないだろう。

なぜ今こんなことを書くのかというと、

かつては、多少ぎこちなく戸惑いをはらみつつも、イデオロギー色のない清新な文章で市民的な良識を語っていた人が、

先般の選挙では小泉首相の郵政民営化の論理を無批判にコピー&ペーストし、古い雑誌記事を鵜呑みにして「特定郵便局の恐怖」とやらに震えてみせ、

最近の日記では「プロ市民」なんて言葉を無頓着に使ってしまっていたり、小泉首相の靖国参拝については「わが国の代表は、平和を願い、二度と戦争をしない誓いの元に、国の宗教の伝統に則って行動している」なんて書いてしまう(「国の宗教」って何でしたっけ)、

そういう、かなりみっともない「転向」のありさまを目にしてしまっているからなのだ。

あえて自虐的に繰り返すけど、私自身は、保身のためなら権力に擦り寄って、その片棒担ぎくらいは平気でやる人間だと思う(ここを読んでくれている真っ当な皆さん、もしそうなったらスミマセン)。

でも、たぶん、「転向」するにしても、せめてもう少しはカッコつけると思う。

2005年11月30日

ガリ版……

ふとしたキッカケで、あるところで「ガリ版」の話が出た。

出版などという大きな話ではないけど、ある程度公開が前提となる文章を書く手段というのは、そういえばずいぶん変わってきたなぁと、しみじみ思ってしまった。

小学校の頃は、「ボールペン原紙」という奴があった。青や緑の何やら柔らかい素材が塗布された原紙にボールペンで書いていくと、筆跡の部分だけ、その素材が削り取られ、輪転機(正式な呼称は忘れた)にかけて、裏紙を外してハンドルを回すと、削られたところからだけインクが滲出して、紙(わら半紙が中心だったかも)に「出力」されるという奴だ。

出会う順序は逆になるのだけど、その後、たぶん高校・大学に入ってからだったかと思うのだけど、ロウ原紙というのも使ったことがある。ボールペン原紙に先立つもののはず。表面がザラザラに加工された鉄板(ヤスリ)を下敷きにして、蝋が塗られた原紙を鉄筆でひっかいて、やはり筆跡の部分だけインクが通るようにする。このロウ原紙を版下として印刷するのが、いわゆるガリ版、正式には謄写版というらしい。輪転機式のものもあったと思うけど、まさしく版画のように一枚一枚刷る「謄写版」も高校にはあったような気がする。そういえば、「書く」といわずに「ガリを切る」と表現していたんじゃないかな。「これ、ガリ切っといて」みたいに。

ヤスリ・鉄筆という専用の道具が必要で、鉄筆は先端が尖っていて危険だったし、ロウ原紙も破れやすくて扱いにくかったので、小学校では手軽なボールペン原紙を使っていたのだと思う。

大学に入ると、ガリ版もあったけど、さすがにもう少し裕福というか先進的な機械があった。名称は覚えていないのだけど、ドラムが二つ並んでて、一方に原稿をセットし、他方に版下となる原紙をセットしてスタートさせると、光で原稿を読み取って、その通りに原紙に刻んでいくような奴。しかしこれも結局その後は輪転機にかけるわけで、版下作成の方法が高度になっただけで、原理的にはガリ版と同じ孔版印刷だったと思う。そういえば和文タイプも使ったことあるな……。

パソコンを使うようになったのはこの頃。初めて使ったPC用ワープロソフトは「松」だった。その後はMS-DOS2.11で動く一太郎Ver.3とか、そのへん。5インチフロッピーが当たり前で、8インチフロッピーも健在。その後3.5インチフロッピーも登場したけど、信頼性が低いなんて保守的な悪口も聞かれていた。

その後については、今さら書くまでもないので省略するけど、そういえばドットインパクトプリンタなんてのもあったな。紙詰まりとかインクリボンのトラブルとかも珍しくなく、「すみません、プリンタが調子悪くなりまして」というのが納品遅れの言い訳の定番だった。何しろメールどころかデータ入稿ですらなかったのだから。

レトロな商品もどこかしらで入手できる昨今だけど、さすがに楽天市場にも謄写版は売っていないようだった。ヤフーオークションだといくつかヒットする。さすがに買う人はほとんどいないだろうなぁ……。

それに比べると、レコードや銀塩写真って、結構しっかり生き延びている方なのかも。