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2004年02月11日

ターミネーター3

 先日、今さらのように地元のツタヤに入会したのだが、探していたCDは見当たらず、たいして品揃えもよくないなぁと眺めつつも、見逃していた『ターミネーター3』を借りた。政治家としてはともかく、アーノルド・シュワルツェネガーは、笑いの取れるマッチョ系スターとして、嫌いなほうではない。実は、『ターミネーター』も『T2』もかなーり面白かった。というわけで、『T3』を観たのだが……。以下は観ていない人にとってはネタバレになるので、「続き」として書いておこう(同じlivedoorのブログで読んだのだが、このシステムでは、投稿本文は短く抑えて、長い文章は追記で書くと容量が抑制できるらしい)。

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2004年02月18日

『カンバセイション・ピース』

作家の村上春樹は、ヤクルトスワローズのファンであるということをいろいろなエッセイで書いていたように思う。しばらく前に彼のデビュー作である『風の歌を聴け』を久しぶりに読んだのだが、この作品のなかでも、めだたないなりにも野球の話がちらほらと出てくる。

で、私自身は野球にせよサッカーにせよ特定のチームのファンではないのだが、「特定のチームのファンであるという心境はどんなものなのだろう?」とふと思った。私が好んで観るのはラグビーで、ラグビーなら贔屓のチームはある(小学生高学年の頃からの早稲田ファンだ)。しかしラグビーはシーズン中でも毎日試合があるわけではないので、勝敗に日々一喜一憂するということはない。

ちなみに私の周囲には、熱心な野球ファン、それも特定チームのファンがいないことはない。よく行くバーのマスターは阪神ファンだし、唄三線仲間の1人は千葉ロッテマリーンズのファンだ。

この「特定のチームのファンである心境」を話題にしたところ、友人の1人から、『カンバセイション・ピース』(保坂和志)という小説を読むといいと教えられ、読んでみた。

面白かった。特に何か出来事が起きるわけではなく、主人公の独白と他の登場人物との会話で、淡々と進んでいく物語だ。執拗に繰り返されるのは、空間・時間・記憶・視覚などをめぐる、いわば主体の解体ともいうような不思議な感覚だ。センテンスの長い、といっても修飾関係が複雑なのではなくて流れるように進んでいく文体とあいまって、なにやら浮遊感覚のようなものが生まれている。

そして、その時間や記憶に関する記述は、特にどこがというわけではないのだけど、ときおり非常に切ない感覚を刺激する。この本の直前には、ベストセラーになった『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一)を読んだのだが、こちらが演技の下手なアイドルが主役の2時間ものテレビドラマといった感で(といってもその手の番組は一切観ないので想像で言っているだけだが)、泣けるといっても「とほほ」という泣けかただったのだが、むしろ『カンバセイション・ピース』のほうが、しみじみと切ない思いに囚われる作品だった。

あ、それでこの作品の主人公は横浜ベイスターズのファンなのだが、「特定のチームのファンである心境」は分かったような分からないような……。今年は私も日本ハムあたりの成績を気にしてみようかな。

2004年02月27日

『ラスト・サムライ』を観る

遅ればせながら、『ラスト・サムライ』を観る。

私の周囲ではわりと好意的な評価をする人が多くて、否定的な評価は一つしか目にしていなかったので、それなりに期待は高かった。

時代考証がむちゃくちゃだよという話は聞いていたのだが、かなり早い段階で、どうも時代考証以前に日本のあり方に対する敬意が微塵もないように思えてきた。「フジヤマが出てくれば、ま、ニッポンってことで」程度の投げやりな(ある意味で分かりやすい)姿勢である(もちろんCGによる合成だろうが、横浜港?から見える巨大な富士山は何?)

そのへんを気にしているとキリがないから、「日本を思わせるどこか架空の国」でのファンタジーとして捉えることにする。では、その内部での整合性はどうだろう?

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livedoor blogで『ラスト・サムライ』を検索してみると……

ふむ。いろいろ出てくる出てくる。
だいたいは好意的な評価だ。そうか泣けるのか……。

この映画で「日本的なるもの」を印象付けられる人が多いってのは、逆説的に、いかに日本的なものが失われているかを示しているのかもしれない。

検索したなかで、一つ興味深い内容があった。

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2004年03月03日

たくさん殺す映画

『ロード・オブ・ザ・リング~王の帰還』が、メインともいえる作品賞・監督賞を含むアカデミー賞11部門を受賞した。繰り返し書いているように、『指輪』マニアとしては、あの壮大な物語を映像化してくれたスタッフ&キャストには感謝感激であり、別にアカデミー賞にそれほどの権威を認めているわけではないにしても、今回の受賞は素直に喜びたい。と書きたいところなのだが、微妙に違和感というか、なんだかなぁと思うところもある。原作のマニアが映画化作品に対して感じる違和感という意味ではなく、いわば、『ロード……』三部作と、私のなかではかなり評価の低い『ラストサムライ』とに共通する要素への違和感だ。

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2004年03月05日

芥川賞受賞作の載った「文藝春秋」

別に芥川賞に興味があるわけではなくて、受賞作を、何と言うか「旬」のうちに読んだのは、記憶にある限りではずいぶん前の『スティルライフ』(池澤夏樹)だけなのだけど、ほら、やっぱり今年はね。うむ。私もミーハーなのだ(ミーハーって死語かも)。

それと近々、大学時代の旧友2人と「読書会を口実にした飲み会」を開催することもあり、いちおう私の課題図書は『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一)『カンバセイション・ピース』(保阪和志、この作品については先日書いた)『ららら科學の子』(矢作俊彦)なのだが、たぶん旧友2人も今回の芥川賞受賞作は読んでくるのではないかと。短いし。

というわけで、『蛇にピアス』(金原ひとみ)『蹴りたい背中』(綿矢りさ)の2作品が掲載された雑誌「文藝春秋」3月号を購入した。

感想については一部ネタバレになるので例によって「続き」で書いておくが、この2作品とは別に、この号の「文藝春秋」には、自衛隊イラク派遣についてさまざまな人が(短い文章ではあるが)賛否を述べている特集「著名人37人アンケート 自衛隊派遣 私はこう考える」があり、これが面白かった。むろん私自身は反対なのだが、反対している人のそれぞれの理由、賛成している人のそれぞれの理由を肩書きなどと照らし合わせると興味深い。昨年後半から気に入っている内田樹氏も名を連ねている(右サイドのリンクにも入れてあるが、彼のサイトの日記-現在はブログに移行している-は秀逸である)。彼の論敵(?)上野千鶴子氏の名もある。

「文藝春秋」3月号はお買い得なのだ。

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2004年03月08日

劇団坊ちゃん狩り『典男と樹梨』を観る

ここ数年、芝居を観たいという情熱がすっかり薄らいでしまった私だが、土曜日は久しぶりに小劇場に行った。2月に自分が音響として参加した公演の役者・照明スタッフが関わっている公演だ。

6日(土)於・王子小劇場、「坊ちゃん狩り」という劇団の公演『典男と樹梨』である。学習院大学シェイクスピア・ドラマ・ソサエティの卒業公演らしい(「坊ちゃん狩り」の旗揚げでもあるのだろうか?)。劇団の出自とタイトルから容易に連想されるとおり、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の設定を現代日本に移した芝居である。

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2004年03月11日

僕たちの懐メロ

……というテレビ番組を観たことがある。要は、1960年代から、新しいところでは80年代くらいまでだろうか、そのあたりの、今30代~50前くらいの人にとって「懐かしい」と思える日本のポップスを延々と流す番組だ。

2月に音響で参加した公演で、マチネとソワレのあいだの休憩中にiPodをミキサーにつないでこの手の音楽を流していたら、同じ世代のメンバーに受けたのがキッカケで、なんだか最近そんな音楽を聴くことが多い。

そういえば、上では「日本のポップス」と書いたけど、今はJ-Popなどと呼ばれているソレは、かつては「歌謡曲」であり、その後は「ニューミュージック」と呼ばれていたのだ。

今、私のiPodのプレイリストに入っている曲は、こんな感じだ……と、長くなるので↓の「続き」に入れておく。

私はあまりテレビやラジオの歌番組(これも死語かな?)を視聴する方ではなかったので、リアルタイムではなく、むしろ近年になってから知った曲も入っている。

たとえば、「私のハートはストップモーション」(桑江知子)とか「プカプカ」(西岡恭蔵)あたりは、唄三線を始めてから知った曲だ(このへんの事情は説明を省くが)。

また、必ずしも古い曲ばかりではない。息長く活動しているサザンオールスターズでは、「真夏の果実」や「太陽は罪な奴」あたり、たぶん90年代の曲ではないかと思う。まだ入れていないけど、「ひだまりの詩」(ル・クプル)や「PRIDE」(今井美樹)あたりも入れたいところ。「『いちご白書』をもう一度」はもちろんバンバンが歌った古い曲だが、去年、作者の松任谷由実がセルフカバー・アルバムに収録したものをむしろよく聴いている。

あと、それほど多くの人の記憶には残っていないかもしれないが、私にとって特別な曲も入っている。たとえば「卒業」(斉藤由貴)とか。

こうして聴いてみると、印象に残るのはやはり山口百恵ってすごかったんだなぁということだったりする。う~む。

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2004年03月19日

『私の身体は頭がいい』を読む

去年後半から筑土散人氏の影響で読んでいる内田樹さんの本を、また一冊読む。『寝ながら学べる構造主義』『ためらいの倫理学―戦争・性・物語』『「おじさん」的思考』『期間限定の思想―「おじさん」的思考〈2〉』につづいて、今度は『私の身体は頭がいい―非中枢的身体論』。内容は武道論=身体論。著者は、大学の卒論にメルロォ=ポンティの身体論を取り上げたという点では私と共通しているが、そのレベルは、軽自動車とF1以上に差があるかもしれない(笑)

『「おじさん」的思考』では「別姓夫婦の先進性」を否定し、『私の身体は頭がいい』では「インフォームド・コンセントの有効性」について疑問を投げかける。……とだけ書くと、なんだか反動的な人のように聞こえるが、決してそんなことはない。ものすごく単純に書いてしまえば、あらゆる二項対立を愛と身体で超越してしまうような知性だ。

『私の身体は頭がいい』のなかで印象に残ったのは、師匠を選ぶことの困難さについて。「なぜ『原理的に弟子の水準をはるかに超えているはずの人』である師匠を、弟子が選ぶなんてことができるのか。でもそれができちゃうんだよな~」という話。最終章の「響く身体」も、唄三線をやる身としては、非常に興味深かった。

それともう一つ。


まず「分岐点」まで戻る。そして、いちばん処理しやすい結節点を見つけて、そこをクリアーしてからゆっくり次の段階に進んでゆく。
(中略)
おそらくこれがあらゆる危機管理の基本なのだと思う。
「急がば回れ。」

……時節柄、含蓄のある言葉ではないか。

2004年03月24日

久々に鴻上作品を紀伊国屋ホールで

鴻上尚史作・演出『ハルシオン・デイズ』を新宿・紀伊国屋ホールで観た。

作品の感想以前に、紀伊国屋ホールという空間、そしてそこで鴻上さんの芝居を観るという体験そのものに、なんだか強烈な懐かしさを感じてしまった。

そもそもここ10数年(……と書こうとして20年弱と書くほうが適切であることに気づいてしまったのだが)、もともと私が熱中していたのは芝居だったのだし、最初に入った会社も「劇場を保有している」ことを基準に選んだようなものだし、そこを辞めたのも「プロデュースする仕事はあっても自分で芝居をやる時間は取れない」ことが理由だったくらいだ。

しかし、年齢のせいももちろんあるんだろうけど、「多くの人がたくさんのエネルギーを注ぎ込んで、『せーの』で上演して、たくさんの感動を得る」芝居というメディア(このへん人によって異論もあろうが)に、だんだんうんざりしてきてしまったのだ。唄三線には、一人でちょこちょこ練習して、三線一本持って舞台に上がって3分歌って終わり、という身軽さがあって、そこにどんどん惹かれていった。

こうして、いい芝居を観たいという情熱も薄れてきたし、それと連動して自分で芝居をやりたいという気持ちも薄れてきた。そのこと自体は、自分としては正しい方向であったような気がする。

でも、関係者に知人がいるなどの理由抜きに、久しぶりに自分からチケットを買って観にいった『ハルシオン・デイズ』はとても良かった。80年代後半、私は鴻上さん率いる第三舞台の芝居を熱心に追いかけていた。『朝日のような夕日をつれて』『ハッシャバイ』『天使は瞳を閉じて』……。鴻上さんがDJを務める深夜放送も聴いたし、エッセイも読んだ。

ホールに入り、座席に置かれた当日パンフを開いたら、お、ちゃんと「ごあいさつ」があるじゃないか! そんなことに、つい感激してしまう。

あ、作品そのものもとても良かった。「ネット心中」「自殺系サイト」や「9・11」「人間の盾」「誤爆」といった今日的な要素の入れ方が、的確であるとは思うんだが、ときどきちょっと鼻についてしまうのは相変わらずだし、劇中劇部分がやや長すぎてダレる感じもあったし、話の持っていき方が少し強引なところもあったけど……あれ悪口ばかりだな。いや、そんなことはないのだ。役者4人の演技は良いし、落としどころがむちゃくちゃ切なくて泣ける(隣の客はメガネはずして涙拭いてたな~)。そして何より、やっぱり「物語」という要素(この芝居の筋という意味ではなく)がキーワードになるのは、「世界」に対する鴻上さんの一貫した姿勢なのかなぁと感じ入った次第。

というわけで、とてもいい芝居で感激して帰ってきたのだけど、かといって、心を入れ替えて他の芝居もどんどん観にいくようにしよう、という気にはならないのだな。う~ん。

2004年03月26日

朝日のような夕日をつれて’91

思っていた以上に先日の鴻上作品の印象が強かったので、ついふらふらと、サードステージのサイトで『朝日のような夕日をつれて’91』と『第三舞台 20 YEARS』という2枚のDVDを購入してしまった。

『朝日』は第三舞台の旗揚げ以来、何度も上演されている作品で、1991年のキャストは大高洋夫・小須田康人・筧利夫・勝村政信・京晋佑。ちょうど私が第三舞台を熱心に観ていた頃のメンバーだ(たぶん私は87年・89年・91年の『朝日』を観ているはず)。

昨夜このDVDを観たのだが、まぁもちろん芝居をDVDで観るというのは、とっても「マガイモノ」感が強いわけで、やっぱり何というか「あ~懐かしいなぁ」ということでしかない。で、先日も書いたように鴻上さんの台本は昔から時代の最先端を取り入れていて、91年の作品を今こうして観ると「う~ん、そうか、この頃はまだパソコン通信の時代だったのだなぁ」という感じ。最近よく見ているサイトに「『マルチメディア』は死語化している」という記事があって、要は「今や当たり前になってしまったので、わざわざそんなことを言う必要がなくなってしまった」という趣旨なのだけど、そのマルチメディアという言葉が、まだ(うさんくさいなりに)輝きを持っていた頃、それがこの『朝日』の1991年なのだなぁと妙なところに感銘を受ける。

もちろんこの『朝日』も十分に楽しめるのだけど、まだ観ていない『第三舞台 20 YEARS』の方が楽しみかもしれない。私が観たことのない、旗揚げ当初の役者さんの姿が残っているはずだから……。

2004年03月29日

Me and Mr. Johnson

「かのこの劇場メモ~半券の余白」というブログで、エリック・クラプトンが新譜を出すという話を知った。それほど熱心なクラプトンファンというわけではないが、全編、伝説的なブルース・マン、ロバート・ジョンソンの作品のカバーだと聞けば買うしかない。

というわけで、「Me & Mr. Johnson」を購入。さっそく聴いてみた。1曲目から、とにかく非常にかっこいい演奏。ブルース好きのマスターがやっているバーに持っていってかけてもらったけど、やはり、のっけから「おお、いいねぇ」という声があがった。ブルースに馴染んでいる(自分でもギターを弾く)人が聞いても、やはりいいようだ。

……でも、なんだか飽きる。なんというか、ロバート・ジョンソンの曲に対するアプローチが、どのトラックも一緒という印象がある。ジョンソンとの距離の取り方が常に一定であるように思える。どれか一曲を取り出して聞けばとてもいいのだけど、通して聴いていると退屈してしまう。奇をてらう必要はないけれども、一曲くらい、アコースティックギター1本で歌うとか、そういう工夫があってもよかったのではないかと思う。そのあたりがちょっと残念……。


Me and Mr. Johnson

2004年03月30日

『茶色の朝』

イラク侵略開始1年を前にして、「いつ、どうやって反対するか」という記事を書いたのだが、何かのMLかメールマガジンで茶色の朝という本のことを知り、気になったので読んでみたら、なんだかとてもしっくり来る本だった。まぁ童話というか絵本というか……5分もあれば読めてしまうような短い本で、一言でいってしまえばファシズムの到来を警告する寓話、という感じかな。

もともとフランスで出版されて話題を呼んだ本らしいのだけど、たぶん、ナチスドイツの記憶をそれなりに鮮明に持っている人が残っていて、ネオナチの台頭とかを目の当たりにしているから、こういう本に敏感に反応する人も多いのだろうと思う。……って、状況的には日本もそんなに違いはないはずなのだけど、想像するに、日本では戦前・戦中の状況がファシズムであったという意識が希薄なのではないだろうか。ドイツやイタリアとひとまとめにされたんで、後知恵で日本もそうだったとアタマで理解しているだけで……。

最近、都立高校などの卒業式で日の丸掲揚・君が代斉唱のときに起立しない教職員が「処分」されることが、いちおうニュースになっている(ただし扱いは小さい……)。いずれ、そんな事件はニュースにさえならなくなるのだろう。で、いつのまにか、戒告とかじゃなくて刑事罰が与えられるようになっていたり。それが教師だけじゃなくて普通の市民にも適用されるようになっていたり。

「きっと心配性の俺がばかなんだ」(『茶色の朝』より)

2004年04月02日

「放送禁止歌」を読む

放送禁止歌』(森達也、知恵の森文庫)という本を読む。著者は、オウム真理教を扱ったドキュメンタリー『A』『A2』で有名に(?)なった人だ。

放送禁止歌というと、なんだか品のない関心が先に立つような感じだが、実際には差別や権威といったマジメな問題に深く関わっている。

で、この本は面白い! 「放送禁止歌」「放送禁止処分」の実態は何なのかという暴露を経て(ここでバラしてしまうのはためらわれるけど、実際には「放送禁止歌」も「放送禁止処分」も存在しない)、話は徐々に部落差別の問題へと進んでいく。最後の4分の1くらいでちょっと筆者の感傷が強まりすぎる嫌いはあるけれども、姿勢そのものは大いに評価できる。

興味を惹かれた私は、思わずこの本で紹介されている「放送禁止歌」を収録したCDを何枚か注文してしまった……(この本にも書かれているが、「放送禁止歌」が必ずしも入手不可能というわけではない)。

この本のなかから、個人的に印象的だった部分を一節だけ紹介しておこう。

歌の歴史は人の生涯に似ている。この世に生まれ、愛したり愛されたり、傷ついたり傷つけられたり、そんな過程をどの歌も抱えながら成長し、やがて老いてゆく。短命もいれば長命もいる。能天気な歌もいれば屈折した歌もある。

この一節は、個人的な趣味の領域での今の私の問題意識とかなり深く絡み合うのだけど、それはまた別の機会に(機会があれば)書こうと思う……。

同じ著者の『下山事件』もすでに手許に届いていて、これまた楽しみなのだけど、ぐっと我慢して次は大塚英志の本を読むつもり……。

2004年04月06日

「竹田の子守唄」

先日読んだ『放送禁止歌』のなかで、部落差別の問題と絡んで特に大きく取り上げられていたのが「竹田の子守唄」という歌。「放送禁止歌」として紹介されているのは、赤い鳥というグループが歌ったバージョンなのだが、これは『フォークソング伝説』というCDで聴くことができた。私の友人Honeywar氏のブログでも取り上げられていたが、部落差別という背景はさておき(いや、「さておく」ことはできないのだけど)、とても美しい曲だ。

さて、藤田正という音楽評論家・プロデューサーがいる。この人は沖縄の音楽にもたいそう傾倒している方で、映画『ナビィの恋』の製作にも関与しているはずだ。昨年後半、この人の沖縄音楽に関する連続講座が近所であったので聞きに行ったりもした。『ベスト・オブ・丸高』『青春時代の登川誠仁』といった、最近発売されたマニアックな沖縄民謡のCDのプロデュースもやっている。

藤田正の名前は『放送禁止歌』にも出てくる。『竹田の子守唄-名曲に隠された真実』という著書があるからだ。「Beast21」というウェブマガジンを主催されていて、そこに「竹田の子守唄」関連のページもあるのでアクセスしてみた。

すると、花*花というグループが『コモリウタ』というアルバムで「竹田の子守唄」をカバーしていることが分かった。古謝美佐子の名曲「童神(わらびがみ)」(最近では夏川りみも歌っている現代沖縄民謡の最高傑作)も収録されている。この曲も子守唄の名曲だ。あれ、確か私の師匠である平安隆もこのグループのレコーディングに関わるとかいう話がなかったかな。なにやらつながっている……。で、さらに読み進めていったら、へえ、赤い鳥のボーカルって山本潤子だったのか……知らなかった。山本潤子といえば人によってはハイファイセットを思い浮かべるのだろうけど、私にとっては「童神(わらびがみ)」をカバーした人というイメージだ。なんだか、「竹田の子守唄」→藤田正→花*花→童神→山本潤子→赤い鳥→「竹田の子守唄」とループが完結したような思いである。

※ ↑なんだかつながりが面白かったのでリンクしまくってみた次第。花*花の「コモリウタ」も藤田さんの著作も注文してしまった……。

※ ちなみに「竹田の子守唄」が「要注意歌謡曲」に指定されたのは歌詞に出てくる「在所」という言葉が被差別部落を意味するという理由からのようだが、『放送禁止歌』によれば、「在所」という言葉は、地方によって、被差別部落を意味する場合もあれば、逆に被差別部落じゃない場所を意味する場合もあるらしい。そういえば、「部落」という言葉は内地では被差別部落とイコールに使われるようだが、沖縄では「集落」程度の意味で一般的に使われる場合が多いように思う。

2004年04月07日

野田秀樹『透明人間の蒸気(ゆげ)』@新国立劇場

先日、鴻上尚史の作品を観たと思ったら、今度は知人から野田秀樹の芝居のチケットを譲り受けてしまった。大学の頃、小劇場演劇界の(もう「小劇場」ではなかったけど)人気を二分していた2人が作・演出を務める作品を続けて観にいくことになる。

というわけで、野田秀樹『透明人間の蒸気(ゆげ)』を新国立劇場・中劇場で観たわけだが、う~ん、今ひとつという印象だったなぁ。全般的に、空間に対して役者の声量が貧弱で、あまり引き込まれない。奥行きを広~く使うのは、要所要所で視覚的にいい効果を出しているのだけど、音的にはスカスカの感じになってしまっていた。

そのなかで独り光っていたのが、主演の宮沢りえ。出てきた瞬間からオーラが違っていた。高橋由美子も声が良かった。アイドル系出身であるはずの2人なのにびっくり。もちろん、六平直政や有薗芳記、篠崎はるくといった中堅どころもきっちり脇を抑えているのだけど……。役者・野田秀樹については、かつての神通力が発揮されていなかったな。

2004年04月20日

読まずに書かれた記事……

まぁ夕刊フジの記事だからどうでもいいのだけど(笑)

●オヤジはステキ?柴咲コウ、80年代「すてき」

要は『世界の中心で、愛をさけぶ』映画化絡みの記事なのだけど、そのなかで「高校時代に恋人を白血病で亡くした男とその婚約者の葛藤を描いた正統派純愛作」とある。ちょっと待て。「男とその婚約者の葛藤」なんて描かれていたか? 「その婚約者」らしき存在なんて、ラストにちらっと出てくるだけではなかったか? 知人の情報によれば、映画はそのラスト部分を膨らませるらしいので、そこで映画と原作の混同があるのだろうな。

「原作は『読めば号泣する』といわれ、200万部を突破したベストセラー小説」なんて書くなら、読めばいいのに。ってわざわざ読むほどの作品とは思えなかったけど。「読めば号泣」かぁ。うん、確かに私もこれには泣いた。「とほほ」って泣き方だったけど。村上春樹を露骨にパクっているとことか、見え見えだったし。

2004年04月26日

ダシがきいている『登川誠仁&知名定男』

Amazonから『登川誠仁&知名定男』が届いた。

もちろん期待はしていたのだが、期待にたがわず、これはすごい。冒頭の「スーキカンナ」の誠小の三線・唄からして、ぐぐっと惹きつけるのだけど、そのまま緊張を強いるわけではなく、リラックスして楽しめる。最近は沖縄民謡でも洋楽器を入れたアレンジを試みる例もたくさんあって、そういうのも決して悪くないけど(というか、アコースティック・パーシャなど、素晴らしいものもある)、このアルバムは、歌三線に、せいぜい島太鼓と琉琴、三板が入る程度。つまり正統派の民謡アルバム。でも古めかしいわけではない。このところ続けて出た丸高レコード系の昔の録音も良かったけど、当たり前の話だがそれに比べれば音は素晴らしくいいし、そのおかげで登川誠仁・知名定男、それにゲストの吉田康子の声の艶がしっかりと生きている。

そして楽しい。比較的アップテンポの曲が多いし、オープンのスポーツカーに、オヤジ&オジイが2人で楽しげに座っているジャケットの写真も、とことん粋だ。

同じく唄三線だけの新良幸人『月虹』(こちらも名作!)とは、ずいぶん趣が違う。『月虹』は何というか、求道者的に音を突き詰めている感じがあって、その分聴くほうも緊張を強いられる。だから私は、このアルバムが大好きなのだが、まだ数えるほどしか聴いていない。なんだか、居ずまいを正して、1曲目から通して全部聴かなくてはいけないような気がする。強要されるのではなくて、そうしたくなってしまう。

『登川誠仁&知名定男』は、もっと気楽だ。なんだかふらりと入った居酒屋で、「今度これメニューに入れようかと思って作ってみたんだけど」と出された一品が、えらくダシがきいていて美味いという感じ(←どんなだ)。

達人たちが、「オレたちこんなことばっかりやってきたなぁ」と楽しんで作ったアルバム、と書いておこう。

2004年05月06日

不安と恐怖の文化

ゴールデンウィーク中は、買ったのに観ていないDVDを片っ端から片付けようと思っていたのだけど、結局、『シューティング・フィッシュ』と『ボウリング・フォー・コロンバイン』の2本しか観られなかった……。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、厳しいブッシュ批判で知られるマイケル・ムーア監督が、銃犯罪の多発する米国社会を追ったドキュメンタリー。

彼がこだわるのは、隣国カナダとの比較だ。カナダも米国と同じように、銃の普及率は高い、人種もそれなりにさまざまである、ガンアクション映画の人気も高い、それなのに銃による犯罪件数は桁違いに少ない。なぜ?

ムーアはカナダでの取材で、カナダではドアに鍵もかけない家庭が多いという驚くべき事実を発見し(これは見ていてちょっと「ほんとかよ!」と思ったのだけど)、これとは逆に、米国社会が歴史的に「他者への恐怖」に彩られた文化を培ってきたという仮説にたどりつく。

ふーむ。それって、これから(たとえば政策主導とかで)どうにかなるものなのだろうか? ムーアは、実際には犯罪発生率(件数だったかな?)は低下している(「なのに、何で米国民は恐怖や不安を捨てないのか?」)と指摘するのだけど……。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』で指摘される国内の「恐怖の文化」は、なんだかエマニュエル・トッド『帝国以後―アメリカ・システムの崩壊』で指摘される、「自国が世界から必要とされなくなるのではないかという不安」に駆られて「演劇的小規模軍事行動主義」(※)に走る米国、というグローバルな構図と、とってもよく重なるような気がしたのであった。

(※ 要するに、アフガニスタンとかイラクとか容易に勝てそうな相手を選んで、「テロと戦っている自分=世界にとって必要な自分」という姿を取り繕おうとする態度……)

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2004年05月10日

絵を見るのは苦手なのだけど…

土曜日は、大丸ミュージアムに「田中一村展」を観にいった。栃木出身で、千葉在住の時期を経て、後半生を奄美で過ごした画家だ。展覧会そのものは日曜日で終わってしまったので、奄美にある田中一村記念美術館にリンクを張っておこう。

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2004年05月11日

『帝国以後』雑感

しばらく前にエマニュエル・トッド『帝国以後―アメリカ・システムの崩壊』という本を読んだのだが、あるウェブログが田中宇さんのメールマガジンについて言及しているのを読んで、またこの本のことを思い出した。私が今さら紹介するまでもなく、いろいろなところで取り上げられた本だし、批判するほどの知識もないので、一通りの印象、それに物足りなかった点などちょこちょこメモしておこう。

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2004年06月07日

世界は変えられる

今日はちょっと宣伝というかオススメ。

世界は変えられる―TUPが伝えるイラク戦争の「真実」と「非戦」』(七つ森書館 1800円+税)

TUPとはTranslators United for Peace(平和をめざす翻訳者たち)の略で、2003年3月に米国のイラク侵略が始まったときに、日本のメディアには載らない世界のさまざまな声を伝えるという趣旨で、翻訳を仕事とする人たち・翻訳を志す人たちがメーリングリストの形で集まって作られたグループ。坂本龍一さんが中心となった『非戦』にも参加している翻訳家の星川淳氏がいちおうリーダー的な存在と言えるだろうか。翻訳した成果は、メールマガジン「TUP速報」という形で配信されている(配信申し込みは、ここ)。

デモ(もしくはピースパレード)で歩く以外に何かできることはないかと考えていた私も、一番自分の能力に合った活動として、このグループに参加した。しかし結局のところ、活動にはほとんど貢献しないまま、メーリングリストではほぼリードオンリーメンバーに徹している(^^; 言い訳ではないけど、私はもともと特に英語が好きなわけでもなく、翻訳という仕事をしている理由を問われて「英語が読めなくても困らない社会にしたい」と答えるくらいである(かなり誇張だけど)。だから、仕事以外では英語などあまり読みたくもない。焚き火を趣味にしている消防士がいないのと同じだ(いるかも)。

で、この『世界は変えられる』という本は、これまで1年ちょっとに渡って配信されてきた「TUP速報」のうち、特に書籍として残す価値のある記事をまとめたアンソロジーだ。

ほとんど活動に貢献していない私が参加した数少ない記事も、このアンソロジーに向けた最終候補リストに残っていたのだけど、結局、「第2弾が出るときに」ということで外されてしまった。ちょっと残念(涙)

翻訳もののアンソロジーなので、原著者の文体にも翻訳者の文体にも統一感はないのはしかたないのだけれども、特に後者についてはTUP内でこの本の編集の中心となったチームの努力でかなり読みやすいものになっているはず。とにもかくにも、オススメである。

2004年06月08日

宮崎駿作品2作

これも、「今まで無縁だったけど、機会があったらとりあえず」シリーズの一環かな。

そう、あまりにも有名な宮崎駿の作品を私は今まで1本も観たことがなかったのだ。理由をあえて挙げるとすれば、「アニメというジャンルが好きでないから」ということかな。マンガは結構好きで日常的に読んでいるのだけど。

で、レンタルDVDのサービスに加入した記念(?)に、まず『風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』を借りた。

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2004年06月24日

「木かげの家の小人たち」

いぬいとみこ作『木かげの家の小人たち』『くらやみの谷の小人たち』(福音館文庫)を読んだ。子どもの頃に読んではいるのだが、同僚と飲んでいてこれまでの読書遍歴の話題になったときに話題に出て、ふと読みかえしたくなって注文してしまった。

『木かげ……』は、太平洋戦争中の日本が舞台。昔、本国に帰ってしまうイギリス人教師から「小人」(ちなみにこの小人はHobittではなくDwarfだと書かれている)を預かり、親から子へとその世話を引き継いだ一家(とその小人たち)の物語だ。『くらやみの谷……』の方は、戦争が終わり、自分たちを保護してきた人間の家族と別れた小人たちが直面する波乱万丈(?)の冒険ファンタジーといったところ。

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2004年07月08日

アコパにがっかり

昨夜(7日)は、北沢タウンホールでのアコースティック・パーシャ(アコパ)のライブを聴いてきた。正直言って、その出来にはガッカリといったところ。

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2004年07月15日

ブラックホーク・ダウン

しばらく前の映画だが、DVDで『ブラックホーク・ダウン』を観た。ソマリア内戦に対する米軍の介入を描いたリドリー・スコット監督の戦争映画。何でこんな映画を観たのかというと、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作でレゴラス役を演じているオーランド・ブルームが出演しているからだ。

……まぁ何というか、アメリカのモノの見方が歴然と現われている映画、ではあるのかもしれない。失敗に終わった作戦を冷徹に捉えたリアルな戦争映画という評価もあるのだろうけど、その端々に透けて見えるのは「ソマリア民兵は人間ではない」という意識だ。そしてたぶんその意識は、製作者の側ではまったく自覚されていない。

別に米国の正義が声高に歌われているわけではないし、ソマリア民兵が取り立てて残虐であるように描かれているわけでもない。それでも、米兵の命「だけ」が大切だという意識はありありと表面に出ている。恐らく、この映画のなかで最も高い価値が置かれているのは米兵のあいだの仲間意識だろう。彼らは過酷な市街戦のなかで、死亡していようがなんであろうが、とにかく「仲間」を1人も置き去りにしないために勇敢に戦う。でも、その仲間の遺体を回収する過程で、彼らは躊躇なく多数のソマリア民兵を殺す。負傷した仲間の命を救うためではない(そのためなら殺していいというわけではないにせよ)。遺体を回収するために、さらに多くの遺体を生み出す。観ていると、不思議な感覚である。彼らにとって仲間の米兵は人間だが、敵対するソマリア民兵は人間ではない。

amazonでのレビューなど読むと、この映画を米国のイラク侵略と重ねる見かたもあるようだ。この映画を観ると、ブッシュや小泉がどうのこうのというレベルではなく、こういう映画で、敵方を人間と見ない考え方というのは刷り込まれていくのだなぁという思いがする。もしこの映画で描かれている戦闘や米兵の意識がリアルなものであるなら、なるほどイラク人を人間と見ない意識もリアルなものなのだろう。

ちなみにオーランド・ブルームは……なんというか、一番情けない役だったかも。

2004年07月23日

哲学書は難しいか

高校のとき、父が本棚ひとつ分の本を丸ごとプレゼントしてくれた。要は自分の部屋が溢れてしまうから、本棚ひとつ(もちろん中身とともに)お前の部屋に置かせてくれ、という話である。中身の本は、このうえなく雑多だった。私はこの本棚から、大江健三郎の初期の小説なんかも、文庫本ではなく単行本(しかも初版)で見つけて読んだりした。そういえばモーリヤックの小説も何冊かあった。たいていは埃だらけで日に焼けていたけど、そのなかに新刊のようにきれいな文庫本が1冊あった。なぜきれいかはまぁ想像に難くないのだが、それがイマヌエル・カントの「実践理性批判」(岩波文庫)だった。

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2004年08月05日

戦争のつくりかた

予約してあった『ロード・オブ・ザ・リング~王の帰還』と、元ちとせ『冬のハイヌミカゼ』のDVD/CDが同時に届いてしまい、おまけに橋田信介『戦場特派員』、内田樹『映画の構造分析』、ブルデュー『遺産相続者たち』、『ファルージャ2004年4月』、その他諸々、買ったのに読んでいない本が山積みの状態。amazonだと、ちょっと興味を惹かれるとつい注文してしまうのでこういうことになる。従来型の本屋なら「面白そうだけど荷物になるな~」という抑制が働くのだけど。

そんななかで、昨日だかに届いてあっというまに読めてしまった本が、『戦争のつくりかた』(マガジンハウス)。もともとは自費出版で刊行された本らしいのだが、話題になって、大手出版社での発売になったらしい。
本編は31ページ、解説を入れても60ページ足らず。しかも本編は絵本なのであっというまに読めてしまう。

内容はタイトルどおり。憲法で戦争を否定している国が、どうすれば再び戦争のできる国になれるかという話で、小泉や安倍にとっては、とても参考になるのではないか……と思ったのだが、彼らはこの本に書かれているとおりのことをとっくに実践済みのようで。

フランスで書かれた『茶色の朝』とは異なり、これはまさしく、「日本での」戦争のつくりかたを書いた本だ。

でも、どうなんだろう。こういう本を手にとって読むのは、もとから戦争に反対し、有事法制に反対し、自民党になんて決して投票しようとしなかった人たちばかりなのではないか、という気がしてならない。

「それじゃいけないんだろうな~」と思いつつ、はっきりと人に勧める気力(というかちょっとした勇気かも)もないまま、私はこの本を家に持ち帰らず、会社のデスクに、表紙を上にして置いておくだけだったりするのだけど。

戦争のつくりかた
戦争のつくりかた

2004年09月08日

立て続けに映画を……

ふと思い立って……というわけでもないのだが、先週から今週にかけて映画を立て続けに3本観た(といっても1本はDVDだが)。

まず、「CGは使いません。ワイヤーは使いません。スタントマンは使いません。早回しは使いません。最強の格闘技・ムエタイを使います」の予告編が印象的だった『マッハ!!!!!!!!』(公式サイト)。

まぁ面白いというだけの娯楽作品。でも面白かったよ。しかし主役がスタントマン出身とのことだから、「スタントマンは使いません」はどうなの。「(代役としての)スタントマンは使いません」という意味だな。

続いて『風音』。芥川賞を取った目取真俊の原作に基づく、沖縄を舞台にした映画。私の唄三線の師匠が音楽で少し絡んでいる。先日、モントリオール映画祭で「イノベーション賞」とやらを取ったらしい。

なんというか、「空気」がとてもよく伝わってくる映画だった。沖縄が好きな人なら観ても損はないだろう。でも、特攻隊の戦没者の消息を尋ねて本土からやってくる女(加藤治子)や、暴力的な夫から郷里の村に逃れてくる女(つみきみほ)の、それぞれの事情の描き方はなんだか陳腐というかありきたりという感じがしてならない。沖縄ロケで力を使い果たしたのか……。しかし、つみきみほって私にとっては『櫻の園』の女子高生の印象しかないのだけど、とっても素敵な大人の女性であった。考えてみたら『櫻の園』からもう14年……。

そしてDVDで観たのは『インファナル・アフェア』。これが圧巻であった。知人が日本での配給を担当していた関係で試写会段階から良い評判は聞いていたのだけど、ややこしそうな設定に腰が引けて(笑)、観るのが遅れてしまったが、これほどすごいとは思わなかった。部屋でビールでも飲みながら…と思っていたのだけど、その余裕もなく、なんだか正座して(?)のめりこんで観てしまった。派手なアクションはないし銃撃戦もちょっとあるだけだし、もちろんCGもないけど(使われてはいるのだろうけど目立たない)、この緊迫感はなんだ! 役者の演技と脚本と演出とカメラワークで真向勝負の映画らしい映画。

この手のジャンルに対する好き嫌いはもちろんあるだろうけど、強力にお勧めである。18日からは第二作(といっても第一作の前物語)が公開される。これは映画館に観にいかないとな~(公式サイト。もう第二作の告知になっているが)。

2004年10月05日

『日本国憲法を作った男-宰相幣原喜重郎』

以前、この記事で書いた本。
なんだかんだと読むのに時間がかかってしまった。

とりあえずの読後感としては、やはり「日本国憲法はGHQに押し付けられたもの」という認識で間違いはない、と。ではどうしてそこまで当時の幣原内閣が妥協に甘んじたのかという理由が「天皇制を守るため」という一点に尽きるというのは……やはり何と言うか、その感覚が気持ち悪い。その気持ち悪さの理由を探っていくと、要するに、そこには「守らなきゃ」という信念だけがあって、「なぜ守らなきゃいかんのか」という論理が感じられないからだ。まぁ宗教なんだろうなぁ、天皇制というのはやはり。私は、皇室というのは無形文化財として「保護」すべき国の文化遺産なのではないかと常々思っているのだけど。

2004年10月07日

村上春樹『アフターダーク』

Amazonで予約していて入手したのが9月上旬だから、1ヶ月近く放置していたことになる。何となく、先を争って読まなきゃという感じでもなかったんだよな、なぜか。

でもまぁ、ファンだから読む。

あっというまに読めた……。

なんだかスカスカの気がする。

う~ん。

読み始めてすぐ、映画のカメラのような視点から文章が紡がれていくのに気づく。一人称視点が中心だった彼の作品としては目新しいのかもしれないけど、それが別にたいした魅力も効果も生んでいないような気がしてしまうのはなぜだろう。

途中、ジャズバンドの練習中のセッションの描写があるのだけど、あ~そういう感じなのかも。「こんなフレーズあったよね」「そう来るなら、こうでしょ?」「ここでオレも入らせてよ」みたいな感じ。居心地は悪くないのだけど新味がない。この作品から、村上春樹の新たな展開が生まれるような気配もない。

というわけで、急いで読まねばならぬ作品ではない、というのが結論。

アフターダーク
アフターダーク

2004年10月08日

『キルビル』観ました

なんか2作目ももうDVDになろうかというのに今さらという感じだけど、『キルビル』をDVDで観た。

うむ、これ結構いいかも。描写がちょっとスプラッタすぎるところがヒドいけど、まぁそのへんはおふざけ映画でもあるので。テンポとか音楽の使い方とかはさすがにタランティーノ。

でもなんでハットリハンゾウが隠居している