首都大学東京!?
日経新聞朝刊で、都立の四大学を統合して2005年に開校する新大学の名称が「首都大学東京」に決まったとの記事を読んだ。
なんだろうこれは?
前置詞や関係詞を介して後ろからどんどん修飾語・節を追加していく英語などの言語と違って、日本語は基本的に前から修飾していくのが自然である。自然というか、そうでない例を見つけるのは非常に難しい。「首都大学東京」という名称は、その言語感覚を根本から否定している。まるで、Metropolitan University of Tokyoとかいう英語名が先にあって、それを未熟な機械翻訳ソフトが訳してみせた感じだ。こういう、日本語の言語感覚を否定した名称を持つ大学を選び、そこで学ぶ学生からは、いったいどんな人間が育ってくるのだろう?
たとえば、会社名だと「前株」もあれば「後株」もある。「株式会社トヨタ自動車」とか「トヨタ自動車株式会社」とか、そういう感じだ(トヨタはどっちだっけ?)。だが「首都大学東京」は、大学という一般名詞が真ん中に来ている。社名で言えば、「自動車株式会社トヨタ」というのと同じだ。
「東京都立大学」という名称を引き継げない理由は分からなくもない。統合される他の3大学の面子もあるだろうし、国立大学も独立行政法人化するなかで「都立」といつまで名乗れるかどうかも怪しい。もちろん、「東京大学」は他に存在するから使えない。しかし、「首都大学東京」という案に対して、「それは変だ」と言葉を挙げる人間が一人もいなかったのだろうか? いたとすれば、それを説き伏せるに足る理由が、この名称にあったのだろうか?
昨日の日経夕刊の記事によれば、都は新大学の名称を都民から公募したらしい。が、この「首都大学東京」という何の名かも不明な奇妙な名称は、応募してきたなかには含まれていなかったようだ。多少なりとも金をかけて募集して、応募してきた名称はすべて捨て、この珍妙な名前を採用する……。滑稽を通り越して、グロテスクでさえある。
応募してきたなかには、ろくな名称はなかったのだろうか? なかったとすれば、ほら、件の都知事の鶴の一声で決まり、驚きを与えつつも、完璧に定着してしまった名称に倣えばよかったのではないだろうか。「大江戸大学」と。
ね、石原都知事東京閣下。