「茶色の朝」で日の丸・君が代について触れたら、昨日の内田樹氏のブログでも、東京都教育委員会による処分の話が取り上げられていた(「国益と君が代」)。
自分に敬意を払わない人間を処罰する人間は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した人間である。
ふつう、そのような人間に敬意を払う人はいない。
国家に敬意を払わない人間を処罰する国家は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した国家である。
ふつう、そのような国家に敬意を払う人はいない。
という結論部分に、私はまったく同感である。「茶色の朝」へのコメントで書いたように、愛国心・愛国主義は多様でありうると私は思う(私の愛国心と石原慎太郎の愛国心は恐らく正反対の方向を向くことが多いに違いないが)。
ところで、内田氏が書く次の部分については、どうも私としては納得がいかない。納得しない人間もフルメンバーとして受容する成熟した市民社会を彼は支持しているのだから、まぁ納得がいかなくてもいいのだけど、いちおう書いておこう。
「君が代」と「日の丸」は日本国の象徴である。
(中略)
私自身は、国旗に敬礼し、国歌を斉唱する。
私が生まれてから今日まで、とりあえず戦争もせず、戒厳令も布告されず、経済的なカタストロフも、飢饉も、
山賊海賊の横行もなかったこの国に対して、私なりのひかえめな敬意と感謝の念を示すためである。
私は「国旗に敬礼し国歌を斉唱する」こと自体を断固として拒否するわけではない。納得がいかないのは、それがなぜ「君が代」であり「日の丸」であるかという点だ。「君が代」「日の丸」は、戦争をし、戒厳令を布告し、経済的なカタストロフを起こし、山賊海賊の横行は知らないが、飢饉は確かに起きた国を象徴する存在ではなかっただろうか。私は今の日本に生まれたことを幸運に思ってはいるが、その敬意と感謝を、この種の厭わしい過去を背負った象徴に対して示す気にはなれない。
もちろん、「君が代」「日の丸」は法律で国歌国旗と定められているわけだが、問題はそれを決定する際に、代替案が何一つ示されなかったことだ。選択肢が一つしかない状態で、それを国歌国旗とするか否かのみが問われる。そしてその唯一の選択肢とは、上述のようにひどく不吉で禍々しい選択肢だ。日本を象徴する国歌・国旗として、何かもっとふさわしいものはなかったのか、ないとすれば新たに創り出すことはできないのか。そういう発想・議論はまったく見られなかった。
1960年代に走ったホンダF1は、白と赤をチームカラーとしていた。言うまでもなく日の丸カラーだ。でも今は、日本のチームカラーとしては青が自然だと思う人も多いのではないか(サッカーに関心のない私は、これにも納得がいかないけど)。日の丸が象徴する太陽はどこの国にでも昇る。やはり国旗の意匠としては、多くの日本人がアイデンティティを感じるであろう桜とコメ(稲穂)をあしらうべきではないのか。
国歌もそう。実は「君が代」のメロディは気に入っている。勇壮な曲調が多い他国の国歌に比べて、落ち着いていて厳粛で良い。しかし歌詞は? 和歌としても字余りだし(「さざれいしの」)、ニホンもニッポンもヤマトも何も入っていないというのは不備ではないのか?
などなど。選択肢は多様であるべきだった。公募でも良かったはずだ。選択肢が一つしかない状態で、これを国旗国歌として定め、掲揚・斉唱を強要するとすれば、それは愛国主義ではなく、ファシズムであると私は思う。
コメント (2)
君が代の歌詞ですが、大学の岩石学教授から聞いた話(私は地学科だったもんで)。
さざれ石の巌となりて
礫が岩石となるには何万年とかかる
苔のむすまで
苔は1年経たなくとも生える
つまり火星までの距離を議論している時にビルの屋上に上れば近くなると言っているようなもので、時間単位を表現する場合に重ねられるべきものではない。ということで、君が代の歌詞は科学的に見て「変」
というものでした。
それがどうのこうのという話しではなくて、ネタとして読んで下さい。
投稿者: mugen | 2004年04月01日 21:27
日時: 2004年04月01日 21:27
こんにちは。都教委の日の丸・君が代の強制はとても許せません。
もう一つ都教委がひどいのが「平和教育」の破壊です。これで免職処分を受けた中学教師がいます。
友人の増田都子さんですが、彼女が新刊を出しましたので紹介させてください。
『たたかう!社会科教師』
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/77-9.htm
投稿者: なな | 2008年02月19日 15:35
日時: 2008年02月19日 15:35