……だと私は思っている。
困っている人々がいて、それを助けようという意欲と能力があるのなら、もちろん支援すべきだ。困っている人々は別にイラクに限らないのだけど、日本が特にイラクの復興を支援すべきだと考える理由はある(後述)。
が、それには条件がありはしないか?
まず「何からの復興か」ということが問題。フセイン政権時代の失政によって損なわれた社会を立て直す? でもそれなら、独裁政権のもとで損なわれた社会は他にいくらでもあるのだから、イラクに限った話ではない。やはり何よりも、今のイラクに関しては「戦災からの復興」だろう。
ではその戦災をもたらしたのは誰なのか? 喧嘩は一人ではできないからサダム・フセインもその一方の責任者だろうが、他方の責任は当然アメリカにある(言うまでもないが、国連の支持を得ることなくアメリカが一方的に起こした戦争には正当性のかけらもない)。
ならば復興もアメリカが自国の費用で責任をもって行うべきだが、あいにく、もろ手を挙げて戦争を支持・支援した手前、日本にもその復興を担う責任がある。それは一部の政治家が言うような「国際社会に対する責任」ではなく、まずもって「イラク国民に対する責任」だ。イラクのインフラを破壊し、イラク国民の命を奪ったアメリカと、それを支持した自国の責任を認めること。それが復興支援の前提ではないか。
だからこそ、他の国でも似たような惨状はあるかもしれないが、日本はまず、イラク復興を担わなければならない(あ、アフガニスタンもだな)。
人道支援など、とんでもない。復興支援は、イラク国民への賠償として行われる種類のものだ。もちろん、誇らしげに国旗と銃器を掲げて「助けてあげますよ」と恩着せがましく行くのではなく、「私たちのせいでこんなになってしまってゴメンナサイ」と、罪人として頭を垂れて赴くべきなのだ。
こんなことを書くと自虐史観とか屈辱外交とか言われそうだけど(史観と呼ぶにはあまりに今日的すぎるが)、それはしょうがない。自虐的になり、屈辱を感じるべき理由は十分にあるのだから。必要なのは、自虐的にも屈辱的にもならずに済むよう、初手からまともな外交をやることだろう。